キ75は、大日本帝国陸軍が計画した戦闘機。構想段階で計画が中止されており、実機は存在しない。

概要

第二次世界大戦時に、陸軍によって爆撃機の掩護を任務として構想されていた機体。当初、1940年(昭和15年)6月の時点では軽快さと重爆撃機と同等の常用高度・行動半径を持つ多座戦闘機(多座戦闘機乙)として計画されていたが、高速重爆撃機キ82の計画が具体化したことを受け、1940年後半にキ82の掩護を任務とする複座の遠距離戦闘機へと変更された。

中島飛行機への発注が予定されており、人員不足に加えて装備が計画されていた中島「ハ45」空冷星型18気筒エンジンが使用可能になる時期が1942年(昭和17年)春頃だったことから、1号機完成は1943年(昭和18年)夏、審査完了は1944年(昭和19年)春になる見込みだった。これは掩護対象であるキ82の審査完了予定時期の9ヶ月後であり、これを問題視した陸軍航空技術研究所(航技研)は1941年(昭和16年)4月に、約半年の開発期間短縮が見込める三菱重工業へキ75の発注先を変更することを提案した。なお、この提案は三菱のキ67(のちの四式重爆撃機)の掩護が予定されたためだともされる。

その後、1941年5月に遠距離戦闘機キ83の試作指示が三菱に対して行われ、同年10月には航技研からキ75の試作中止を提案する意見書が提出された。最終的に、計画は1942年中頃に中止されたが、この時に至るまで具体的な構想は固まっていなかった。

脚注

参考文献

  • 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、73,74,237頁。ISBN 978-4-87357-233-8。 
  • 佐原晃『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』イカロス出版、2006年、30頁。ISBN 978-4-87149-801-2。 
  • 歴史群像編集部 編『決定版 日本の陸軍機』学研パブリッシング、2011年、62頁。ISBN 978-4-05-606220-5。 



【キ74】遠距離爆撃機/立川 大日本帝国軍 主要兵器

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