1953年スイスグランプリ (1953 Swiss Grand Prix) は、1953年のF1世界選手権第8戦として、1953年8月23日にブレムガルテン・サーキットで開催された。

1952年と1953年は通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、フォーミュラ2のレギュレーションが適用された。

レース概要

フェラーリのアルベルト・アスカリが優勝し、2年連続2回目のチャンピオンが決定した(当時は有効ポイントがベスト5戦と考えられていたため、当レースでチャンピオンが決定したとされている。後にベスト4戦とされたため、実際には前戦ドイツGPの時点でチャンピオンが決定していた)。

レース序盤はアスカリとファン・マヌエル・ファンジオ(マセラティ)のトップ争いとなったが、ファンジオは3速ギアを失ったためフェリーチェ・ボネットと車両を交換するもエンジントラブルでリタイア。首位のアスカリはエンジンの不調で39周目にピットイン、パーツを点検している間にチームメイトのジュゼッペ・ファリーナとマイク・ホーソーンに抜かれた。フェラーリ陣営は50周目に順位をキープする旨のサインを出したが、アスカリはこれを無視してホーソーンとファリーナを抜きトップに立ち、そのまま優勝した。フェラーリは表彰台を独占したものの、アスカリとファリーナの間には大きなしこりが残ってしまった。

戦前の名ドライバーの一人であったヘルマン・ラングが、当レースで1939年以来のグランプリ復帰を果たした。マセラティの正ドライバーであったホセ・フロイラン・ゴンザレスが負傷欠場したことによるスポット参戦であったが、5位入賞を果たした。なお、この5位がラングのF1における最高順位となった。

エントリーリスト

結果

予選

追記
  • ^1 - 予選に出走せず
  • ^2 - アクシデントのため予選に出走せず

決勝

注記

  • 車両共有:(ファンジオとボネットが車を交換)
    • 32号車:ファンジオ(12周)、ボネット(52周)。4位に入賞したため、両者が1.5ポイントずつ獲得した
    • 30号車:ボネット(12周)、ファンジオ(17周)
  • アスカリは当レースが最後の優勝、表彰台、入賞、完走となった

第8戦終了時点でのランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
  • : トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

参照文献

  • 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6。 

外部リンク

  • STATS F1

F1 Templo © A História dos Grandes Prêmios Suiça 1953 F1 Templo

1953 Swiss Grand PrixBremgarten, Switzerland. 1953Race winner Alberto

French GP 1953 Formula 1 Photo

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Grand Prix Suisse Bern 1953 Kaufen auf Ricardo