三浦 誠次(みうら のぶつぐ)は、美作国勝山藩5代藩主。美作勝山藩三浦家10代。
第三代当主前次の子、第四代当主で兄毘次の養嗣子。渡辺玄対に画を学び、「虎丘」と号していた。
生涯
天明2年(1782年)、第3代藩主・三浦前次(ちかつぐ)の長男として出生した。
文化14年(1817年)11月15日、第4代藩主・毗次(てるつぐ)の養嗣子となる。文政13年(1830年)7月6日、毗次の隠居により、49歳で家督を継いだ。しかし家督相続から1年足らずの天保2年(1831年)2月14日に死去した。享年50。跡を長男の峻次(としつぐ)が継いだ。
系譜
- 父:三浦前次(1757-1817)
- 母:稲垣昭央の娘
- 養父:三浦毗次(1779-1849)
- 正室:登(なる) - 鍋島斉直の養女 - 鍋島治茂の十三女
- 室:岩淵氏
『平成新修旧華族家系大成』には以下の3男が記されている。いずれも美作勝山藩藩主となった。
- 長男:三浦峻次(1821-1839) - 第6代藩主。母は鍋島斉直の養女登
- 三男:三浦義次(1826-1883) - 第7代藩主。母は岩淵氏
- 四男:三浦弘次(1827-1886) - 第9代藩主。三浦朗次の養子
略系図
美作勝山藩主三浦家を実系で示せば以下のとおり。
- 実線は実子、点線は養子を示す。
- すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
- 数字は美作勝山藩主の代数を示す。
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
外部リンク
- デジタル版 日本人名大辞典 Plus、美術人名辞典『三浦誠次』 - コトバンク




