小泉 長利(こいずみ ながとし)は、戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。
略歴
小泉氏は大和国興福寺衆徒の箸尾氏が祖先とされる 。文明年間(1469年~1486年)に氏祖・小泉藤長が朝倉氏に仕えた。
長利は朝倉氏11代当主・朝倉義景の時代に活躍し、早くから朝倉景連、河合吉統、前波景定らと共に奉行職を担当したと思われるが、書状等に初めて名が確実に見えるのは天文19年(1550年)5月に景定と連署したものが初出で、永禄7年(1564年)6月17日発給の連署を最後に名が見えなくなるので、この直後に死没したと推測される。
なお、子・長治は朝倉氏の滅亡後、織田信長に降った旧朝倉家臣の溝江長逸を頼ったが、天正2年(1574年)2月19日に越前一向一揆の襲撃を受けて溝江氏と共に滅亡した。
脚注
出典
- 松原信之編『朝倉義景のすべて』(新人物往来社、2003年)ISBN 4404031335
- 水藤真『朝倉義景 (人物叢書)』(吉川弘文館、1986年)ISBN 4642050604




