炭鉄港カード(たんてつこうカード)は、日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命『炭鉄港』〜」の構成文化財やゆかりの人物をデザインしたカードである。発行元は炭鉄港推進協議会(事務局:北海道空知総合振興局)。
概要
「炭鉄港推進協議会」が日本遺産の構成文化財(後述)やゆかりの人物をデザインしたカードを作成し、関係自治体で受け取ることで北海道の周遊観光に繋げる企画である。自治体によって入手できるカードが異なるのが特徴。カードサイズは縦6cm×横9cm。
第1弾は全23種類を集めた完走者に特別デザインのカードを贈呈。当初は先着100人だったが、完走者が予想以上に多かったため枠を広げた。また20種以上を集めた人向けに特産品が当たるキャンペーンも行った。
第2弾は30種類カードを追加し、構成文化財の近くにある飲食店や観光地を紹介する専用ホームページを作成。
また、空知総合振興局では2020年度に、架空のOLが日本遺産「炭鉄港」の魅力を学んでいくブログ「てつこの部屋」を2週に1回ホームページで発信(全18回)。振興局の女性職員が主役に扮し、炭鉄港カードを集めながら各地に足を運び、取材した内容を紹介している。翌年2021年度には、ブログ「てつおじさんぽ」を連載。「炭鉄港の魅力にとりつかれた30代一般男性」を書き手と想定し、カードを集めながら構成文化財のある各市町などを訪れ、魅力を発信している。
第4弾は日本遺産認定5周年を記念して、第1弾の23種類を復刻したほか、新たにホログラム加工を施し特別カード4種を用意した。
開催実績
第1弾
配付期間:2020年6月19日(金)-2021年3月31日(水)
配付種類:23種類(1-20番、特の人物カード3種類)
第2弾
配付期間:2022年5月10日(火)-2023年3月31日(金)
配付種類:30種類(21-50番)
第3弾
配付期間:2023年7月26日(水)-2023年10月29日(日)
配付種類:13種類(51-63番)
第4弾
配付期間:2024年7月1日(月)-2024年10月31日(木)
配布種類:第1弾の復刻(1-20番、特の人物カード3種類)、ホログラムカード4種類(64-67番)
カード一覧
配布実績
第1弾
空知管内などに用意した23種・計6万9千枚のうち9割以上が配布され、うち10種は期間終了前に配布を終えた。旧北炭滝ノ上水力発電所(No.4)など2種は、1カ月未満で用意した枚数が無くなっている。道の駅など来場者が多い施設で配布が進み、鉄道関連のカードが人気。特別カードは451枚配布され、50代以下が約7割を占め道内(44市町)が440人、道外(6都府県)が11人となった。
日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命『炭鉄港』〜」
内容
炭鉄港カードの原典である日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~」は、北海道開拓に始まり、「北の産業革命」ともよばれた石炭採掘、鉄鋼産業とそれらを出荷した港湾都市とをつないだ鉄道がもたらした北海道の近代化のストーリーを、後世に語り継ぐべき遺産として文化庁が認定したものである。炭鉱遺産や工場景観、港湾や各地の鉄道施設が日本遺産の構成文化財として認定され、その所在自治体は赤平市、小樽市、室蘭市、夕張市、岩見沢市、美唄市、芦別市、三笠市、栗山町、月形町、沼田町、安平町の広域にまたがるが、なかでも重要な地域は現在の三笠市の幌内炭鉱など数多くの石炭鉱山が開かれた空知地方と、その石炭を使用した製鉄所や製鋼所が建設された室蘭と、それら石炭や鉄鋼を日本全国へ輸送した港湾都市・小樽である。
明治初頭、政府による開拓の手が北海道に及ぶと、アメリカから招聘された地質学者ライマンの調査により、北海道の西部・空知地方に良質な石炭が豊富に眠っていることが確認された。産業の近代化を国策に掲げていた明治政府は、その動力源となる石炭の採掘に多数の人夫を投入するため、集治監(監獄)を2か所に開設した。1879年(明治12年)の幌内炭鉱の開鉱からわずか3年後の1882年(明治15年)には、90キロメートル離れた小樽まで石炭を運ぶための鉄道が敷設され、これは当時の日本で最長の鉄道だった。やがて鉄道は室蘭へ延伸し、室蘭は石炭積出港として北海道で3番目の特別輸出港となるが、炭鉱と鉄道を所有していた北海道炭礦鉄道会社(北炭)は鉄道が国有化された際に得た資金を元手に空知地域から入手した石炭を用いた鉄鋼業に進出し、室蘭は鉄の町へと変貌を遂げた。
また、小樽は明治30年代には日本初の本格的な港湾として整備され、第1次世界大戦の影響で世界的に農産物が高騰した時代背景のなかで道産品の輸出港として一層の発展を遂げた。この一因には、道内各地から小樽までの鉄道網の敷設が成されていたことによる。やがて、第2次世界大戦が終結すると、戦禍が比較的軽微で、戦後復興に欠かせない豊富な石炭を有する北海道は、炭鉱業や鉄鋼業に優先的に資源投入され、空知や室蘭は一層の発展を遂げる。
しかし、昭和30年代後半、石油の普及とともに石炭産業は衰退に向かい、多くの炭鉱が閉山することとなる。史上最大規模の産業転換といわれる「石炭政策」で、空知の炭鉱から5万人が去ることとなった。さらに、昭和40年代になると、日本海側に位置する小樽港は、輸入原材料の調達において太平洋側にある苫小牧港に後れを取り、商業や金融の中心機能もやがて札幌市へと移っていった。また、室蘭も小樽同様に物流機能を苫小牧港に奪われ、鉄鋼業においても国内各地の臨海地に新たな製鉄所が開業していくにつれ次第に衰退し、「炭鉄港」の時代は幕を下ろした。
炭・鉄・港が日本の国策を支えたこの約100年の間に、北海道はおよそ100 km圏内に位置する空知・室蘭・小樽を中心に急速に発展し、1869年(明治2年)の時点では約6万人だった人口は、100倍近く増加した。
脚注
出典
関連項目
- 日本遺産
- 炭鉄港
- 炭鉄港めし
外部リンク
- 炭鉄港推進協議会 炭鉄港カード
- 炭鉄港推進協議会 炭鉄港のストーリー
- 炭鉄港推進協議会 炭鉱港めし
- 空知総合振興局 てつこの部屋〜私が「炭鉄港女子」になるまでの物語〜
- 空知総合振興局【炭鉄港】てつおじさんぽ




